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神奈川県


おだわらじょう


復興天守


北条早雲像
(小田原駅前)

小田原城乗っ取りの逸話の場面
小田原城 (神奈川県小田原市城内)
天守:復興天守  日本100名城
戦国期の主な歴史
平安時代末期、土肥遠平(実平の子)の居館が始まりという。
1416年 上杉禅秀の乱。土肥家は乱に加担。乱鎮圧に大森藤春が貢献する。
1417年頃 藤春が小田原を拝領し築城する。
1495年 北条早雲、大森藤頼から小田原城を奪取。
1519年 韮山城にて早雲没。早雲の嫡男・氏綱が本拠を小田原城に移す。
1539年 氏綱隠居。氏綱の嫡男・氏康が跡を継ぐ。
1541年 氏綱死去。
1561年 氏康、上杉謙信の攻撃を凌ぐ。
1569年 氏康、武田信玄の攻撃を凌ぐ。
1571年 氏康死去。氏康の嫡男・氏政が跡を継ぐ。
1580年 氏政隠居。氏政の嫡男・氏直が家督を次ぐ。
1590年 小田原征伐。氏直、豊臣秀吉に降伏。
    徳川家康が関東に移封。徳川家臣・大久保忠世が4万5千石で城主となる。
1594年 忠世死去。忠世の子・忠隣が6万5千石で跡を継ぐ。
1614年 忠隣改易。総構えが撤去される。
以後、阿部家、稲葉家の城主時代を経て忠隣の嫡孫・忠職の養子・忠朝(忠職従弟)が大名としての大久保家を再興し明治維新を迎える。
(メモ)

 小田原征伐時には、小田原の町全体を覆う「総構え」の城であり、総延長9キロに及ぶ土塁や空堀で囲まれていた。その普請は1569年の武田信玄の侵攻をきっかけに始まったとされ、90年の小田原征伐まで5回以上行われている。
 大久保忠世が入城してから近世城郭へと改修された。
銅門(あかがねもん 復元) 北条氏政氏照の墓
(小田原駅近く栄町)



つるがおかはちまんぐう

 
本宮(上宮)と舞殿

本宮(上宮)【重要文化財】
 鶴岡八幡宮 (神奈川県鎌倉市雪ノ下)
戦国期を中心とした主な歴史
1063年 源頼義が由比ヶ浜に河内源氏氏神の壷井八幡宮あるいは
    京都の石清水八幡宮を勧請したことが始まりとされる。
1081年 源義家による修復。
1180年 源頼朝が鎌倉に入り、現在の小林郷北山に遷座する。
1219年 鎌倉幕府3代将軍・源実朝が公暁(2代将軍・頼家の子)により殺害される。
1526年 鶴岡八幡宮の戦い。
    里見義豊・実堯と北条氏綱の戦いで社殿が焼失する。
1540年 氏綱により社殿が再建される。
1560年 長尾景虎(のちの上杉謙信)が関東管領・上杉憲政を奉じて
    関東へ侵攻する。
1561年 景虎が室町幕府13代将軍・足利義輝の許可を得て上杉憲政から
    関東管領職と上杉姓を継承する。
江戸時代以降、江戸幕府の庇護を受け大規模化が進む。
(メモ)
 日本史上、初めて武家政権を打ち立てた源頼朝ゆかりの神社ということで徳川家康ら武家の崇敬を多く集めた。
 鶴岡八幡宮のお土産といえば「鳩サブレ―」。鳩は八幡神の化身または使いであると鎌倉武士には認識されており、それに因んだ銘菓。

 舞殿 二の鳥居 段葛(だんかずら)